絶滅手帳〜理想のバーチカルを求めて

2000年ごろから手帳を渡り歩いている。条件がいくつかあって、

(1)バーチカル型であること
(2)サイズ・携帯性(ビジネス携帯型から、A6、B6、A5、B5まで)
(3)365日の連続性。(週間ページが月の変わり目で「断絶」されないもの)

この3点をクリアした手帳と、いままでいくつか出会ったものの、なぜか毎回「生産終了」してしまう。これらの名作をに愛を込めて「絶滅手帳」として紹介したい。


【絶滅手帳その1】〜2000年代〜

メーカー:「HIGHTIDE」社
商品の特徴:A5サイズバーチカル

午前/午後/夕方 で3つに区切られた簡易型バーチカル。表紙は紙(5mmくらいの厚みのペーパーバックのようなA5ノート)。たしか、マンスリーなし、ウィークリーページのみのシンプルな構成で、ページ数も押さえられ、薄くて軽くてたくさん書けて、そしてデザインもすてきで、最高だった。

じつは、現在の同社ラインアップには、A6変形の小さめサイズの「ざっくりバーチカル」シリーズが生き残っている。ただ…いかんせん(老眼には)スペースが小さい。

同社のB6スリムサイズ・24時間表示のバーチカルも人気があるようだが、こちらは自分にとっては時間軸表示のフォントが(老眼には)細かすぎる。

余計なものがない、うすくて軽いA5バーチカル。わたしのバーチカル手帳の原点だ。

 

【絶滅手帳その2】〜2000年代後半〜

メーカー:日本のメーカー(名称不明)

商品の特徴:A5変形クオバディスタイプ「正方形バーチカル」。

全ての曜日が均等に配置され、余った列はフリーにToDoなどのメモができる。シンプルなウィークリー欄のデザイン、すべてが完璧だった。クオバディス正方形手帳に合わせたカバーは市販品のバリエーションも多く、お気に入りのカバーを付けて、重宝していた。

この手帳を使っていた時期は、残業200時間超えのハードな勤務をしていたので、記憶もろとも手帳もどこか奥深くへしまい込んでしまって見当たらない。どちらのメーカーかも忘れてしまったけれど、どこかでもう一度出会いたい。

 

ちなみに、ご存知の通り、クオバディス社の正方形バーチカルは、土日の記入欄が小さかったり、変形していたりする。でも、週末も平日と同じようなスペースの広さで、48時間を俯瞰したい。持ち越した仕事があってもなくても、ただひたすら遊んだり休んだりするためであっても、週末がしっかり48時間あることが視覚にアピールしてくれるのが嬉しい。それがこの手帳の魅力だった。(ただ、その結果が月200時間残業だったという…)

 

なお、Q社には例外的に、週7日を公平に扱っている「タイム&ライフ」シリーズがあって、でもなぜかこれだけリング製本になっていて、厚みが出てしまう。(リング製本の絶妙なリングの収まりという点では「能率手帳(NORTY)」ブランドのリング手帳(A5・リングスリム)が最強。)

 

また、世界各国の祝日が表示されているクオバディス、グローバルな業務の方々には「これがなければ困る!」ものなのかもしれない。でも、自分の作業に集中したい(そして集中しすぎて家族タスクなどを忘れてしまうので、余白に振り分けてメモしておきたい)ユーザーとしては、情報が盛り沢山すぎて、文字通り、目のやりどころに困ってしまう。


【絶滅手帳その3】〜2000年代終わりから2010年ごろ〜

メーカー:コクヨ

商品の特徴:キャンパスダイアリーのA6バーチカル

そう、あの頃、最強の携帯性を誇る「A6バーチカル」があったのだ。

日本が誇る文庫本文化、そしてあの「ほぼ●手帳」のおかげで、カバーがよりどりみどりのA6サイズ。どこに行く時でも、メモ用紙や野帳と一緒にポケットに入れても持っていられることにより、この手帳を使っている頃はアポイントメントのミスがもっとも少なかった。フィールドワークが必要なステージではなにより重要だし、自分にとってはこの手帳があるからこそ、どこへでも行けた。

 

なお、現在はコクヨキャンパスダイアリーのバーチカルはA5またはB5から選ぶことになる。そう、A6とB6が同時に絶滅してしまったのだ。このキャンパスダイアリーシリーズは、A5以上になると急に「あのキャンパスノート感」が出てきてしまう。すると、一年間持ち歩き使い倒す、という構えがなんとなく取りにくい。

それにひきかえ、B6のキャンパスダイアリー。まるでミニチュアのキャンパスノートのようで、かわいかった。ミニバッグにも入るし、当時一気に普及しはじめたスマホと一緒に持ち歩ける大切なバディだった。

 

こうして思い出すと寂しくなる…なぜ終売したのですか、コクヨさん。

 

手帳は1年に1冊しか持ち歩けない。結婚のように一対一の関係性を迫ってくる存在だ。わたしが「ほぼ永遠」の愛を誓った相手が絶滅してお別れしてきたからこそ、次の出会いを求め、新しいプロダクトに賭ける人生経験ができているということでもある。

 

でも、本音はやっぱり、毎年末の待ち合わせに律義に現れてくれる相手を見つけたいのだ。